遊心逍遥記

遊び心で本の森を逍遥し、その時の思いを残しておこうと始めました。

『黒い絵 Les tableaux noire』   原田マハ    新潮社

               

 本書は短編集。2007年から2022年の間に、「小説新潮」「小説現代」(3編)「野性時代」「すばる」各誌に載せられた6編が収録されている。
 一部加筆訂正されて、単行本が2023年10月に刊行された。

 本書は「黒い絵」というタイトルにフランス語が併記されている。
 6編の短編のタイトルには、後でご紹介する通り、「黒い絵」というタイトルのものはない。

 著者の作品は、アート小説の領域を主体しつつ読み継いできた。本書で突然異質な領域の作品に出遭うことに・・・・。ちょっと面食らうなぁ・・・こんな領域の小品も書いているのだ、が第一印象。内容はリアル感に溢れ、興味深い。これ本当に、想像力/創造力だけの産物なのか。

 

 読了後に手許の古い『コンサイス仏和辞典 新版』三省堂、1968年、新版25版)を引くと、併記されたフランス語の語句は、冠詞をスキップすると、tableaux は、tableau の複数形。第二義に「絵画(作品)、絵;景色、光景;描写;(劇の)場」という意義の説明がある。最後の noir(e) は形容詞。この単語も意義に幅がある。辞書は「1.黒い;黒ずんだ;黒人種の。2.黒くよごれた、きたない。3.憎むべき、極悪の;腹黒い;闇の、不正の。4.[夜が]暗い;[天候、気持が]陰気な、陰うつな、憂うつな、悲観的な。5.[兵・俗]酔いつぶれた」と説明する。
 つまり、一応「黒い絵」という日本語に対応しているのだが、短編全部を読んだ印象としては6編の短編に共通するムードとして、かなり多義の意味合いと広がりを持つフランス語の語句の方が6編の共通項、集約されたタイトルとしてより近い印象を抱いた。

 6つの短編について、読後印象を交えて、簡略にご紹介したい。

< 深海魚  Secret Sanctuary >
 主人公は瀬川真央。彼女は自宅の狭い自室の押し入れの上段を子供の頃から「海の底」と称し、完璧な闇を作れて心安らぐ秘密の聖域(Secret Sanctuary)としている。
 この<海の底>で彼女はマンガ家としてデビューすることを夢見る。そこはまた淫靡な夢を自由に見られる場所。彼女は高校で大野正美のグループから処女であることをネタに性的要素を絡めた嫌がらせを受けている。<海の底>は逃げ込む場所になる。
 真央は自宅近所のコンビニで偶然にもアルバイトをする小学校4年時代の友達・佐々木流花に声を掛けられる。小学校時代に<海の底>を遊び場にし、さらに性的遊びにも進展した仲だった。
 7年ぶりの再会。二人の関係の復活。二匹の深海魚の交わり。
 だが、それが大野グループの嫌がらせのネタになっていく。
 流花の窮地を告げるLINEのメッセージが、真央には現実と夢想の混淆の因となる。
 さらに、流花の住むアパートの部屋を探し、訪ねていく結果、思わぬ事態に・・・・・。


< 楽園の破片  A Piece of Paradise > 
 「楽園の破片」というタイトルは、ボストン美術館の講演会場で開催される講演会のタイトル。高木響子はスピーカーの一人として講演する予定なっている。彼女はニューヨークの日本美術研究所の研究員で43歳。ニューヨークからボストンに行くアムトラックの急行が霧のために遅延している。講演開始時刻に間に合わなくなる可能性を秘めつつ移動する途中で、彼女は講演会場の事務局とコンタクトをとる一方で、己の過去と直近の状況に思いを巡らす。それはレイとの7年に及ぶ付き合いのこと。
 レイとは、この講演会のメイン・スピーカーである。ハーバード大学教授、ポスト印象派研究の第一人者。彼にはイタリア美術史研究の美しい妻がいる。
 講演会場にはぎりぎりで到着できそうになるが、その直前でアクシデントが見舞う。
 本作の最後は、ゴーギャンの作品の題名がその場の状況と重ね合わされていく。
 本作のタイトルは、ダブルミーニングだったのだ・・・・。これが強く印象に残る。


< 指 Touch >
 東京にある私大の日本美術史博士課程二年の私が、五月のとある週末に彼と奈良・室生寺に旅行する。言い出したのは私。この短編は、私の視点で描写されていく。
 彼は大学教授。彼の研究室で私は助手をしている。3ヵ月前に私から彼と関係を持った。私は32歳、彼は16歳年上。「博士論文を提出するうえではプラスに働く。そんな思いもあった」(p74)私は、「狙っていた男を手に入れたとたん、次に移ることを考え始める」行動派。
 この旅行での彼との淫靡な行為、さらには彼に対する性的欲求不満に思いを巡らしつつ、室生寺の金堂から弥勒堂を巡る。
 私は弥勒堂にある釈迦如来坐像を研究対象としている。一方、彼はこの寺に幾度も学生を連れて来ていて、日本の仏像彫刻の中でも特に室生寺の仏像を偏愛している。
 釈迦の与願印(印相)の中指が私の淫靡な思いにリンクして行く。指というタイトルに、Touch を併記するところが意味深長。これ、セットでタイトルとみるべきだろうと感じる。
 室生寺の近くの旅館で宿泊する。そこの食堂で働く若い男の子に私は目を止める。翌早朝、弥勒堂に歩むと、あの若い男の子が写真を撮っている。
 ラストシーンはあたかも虚実のはざま。このエンディングがおもしろい。


< キアーラ Chiara >
 イタリアのアッシジに所在の聖フランチェスコ大聖堂が舞台となる。
 16歳の時、亜季はアッシジを訪れ、聖フランチエスコの壁画に魅了され、修復家の道をめざし歩み始めた。しかしその道を捨てた。その経緯がこの短編の重要な一ステージ。亜季は帰国し、大学を卒業後、神戸の大学で教鞭をとる人生を歩んでいた。
 10年の歳月を経て、キアーラから手紙を受け取ったことを契機に亜季はアッシジを再訪する。このストーリーは、アッシジに向かう列車の場面から始まる。
 亜季が聖フランチエスコの壁画の修復作業に携わることになった経緯とその仕事を捨てた経緯を回顧するストーリーと、本名リタという女性と再会する現在のストーリーが交錯しつつ、進展する。当時キアーラの愛称で呼ばれていた幼い少女が現在のリタ。

 キアーラとは、聖フランチェスコのもっとも敬虔な弟子、聖キアーラのこと。
 1997年9月26日未明、イタリア中部、マルケ・ウンブリア地方にマグニチュード5.5の地震が発生。聖フランチェスコ大聖堂の天井のフレスコ画が崩れ落ちた。

 この壁画の修復を題材に取り入れた短編小説。
 亜季とリタの最後の会話場面はミステリアスな悲劇で終わる。
 このエンディングは、どこまで深く、どのように解釈するとよいのだろう・・・・。


< オフィーリア  Ophelia>                       
 この短編は、「わたくし」が目撃者として第一人称で語る。その名がオフィーリア。
 だが、ここにまず特殊な設定がある。「わたくしは、あなたさまがご覧になっている額縁の中の絵、そこに封じ込められた女でございます」(p165)絵に描かれた「憐れな女、わたくしはまさにいま、水中に沈みゆくところです」(p165)という描写がつづく。
 ここから、連想したのはジョン・エヴァレット・ミレーの描いた「オフィーリア」(1852年、テート・ギャラリー・コレクション)である。ここでは描写からこの絵のイメージが下敷きになっていると感じる。本作に登場する絵を「オフィーリア」と記す。
 この短編、芥川龍之介作『地獄変』を下敷きに創作されたという一文が奥書として記されている。

 ロンドンのとある街角の画廊のショーウィンドウの壁に「オフィーリア」掛けられていた。それを猿に似た容貌の日本人画家が偶然目にとめて、購入し日本に持ち帰る。帰国後、その絵を自宅で大殿(だいでん)と称する人物に披露する。大殿はその絵より、すれ違う形になった画家の娘に関心を向ける。16歳のその娘を私の妻にすると即断した。
 ここから、登場人物たちに悲劇の幕が開いていく。
 「オフィーリア」は画家の手許から、大殿に購入される。その絵がこの後のストーリーの進展の目撃者になっていく。それを「わたくし(オフィーリア)」が語っていく。
 その画家は、画家自身がオフィリアの傑作を描きあげるという注文を大殿から受けていた。
 この短編は画家のオフィーリア顛末譚でもある。
 末尾近くに、こんな一文がある。
   「絵にすること。絵の中に閉じ込め、永遠を生きさせること」(p186)
 これがこの短編の根底のテーマと理解した。
 

< 向日葵(ひまわり)奇譚 Strange Sunflower >
 脚本家の塚本は、ある劇場の企画会議で、フィンセント・ファン・ゴッホを書いてみたい、その主演を山埜祥哉にオファーしてほしいと言ってみた。山埜祥哉はシンガーでデビューし俳優に転身して今や超売れっ子。企画が通ったことで、塚本は山埜のゴッホで脚本を書き始める。
 この短編は、舞台の初日を迎えるまでの、まさに舞台裏のプロセスを描く。それは塚本がゴッホにどのように取り組むかである。塚本はゴッホに関わるモノクロームの奇妙な写真を舞台美術家・須藤瑛二から入手した。ゴッホの後ろ姿が撮られたという写真。これが契機で、ぎりぎりの段階で脚本を書き直すに至る。その意図を塚本は山埜に、奇妙な写真を見せて、語る。
 塚本はゲネプロの前夜、不思議な体験をする。だから、この短編には奇譚という語句が付いている。さらに、それだけにとどまらなかったので奇譚なのだ。
 ちょっとオカルト的というかファンタジーな局面を含んでいておもしろい。奇妙な1枚の写真がこの短編を盛り上げている。ネタバレは何とか避けたい。


 通読して、加藤泉作のキャンバスに油彩の「Untitled」(2017年)が表紙に使われているということを目次の裏面で確認した。この絵の雰囲気がこの6編の内容、そこに表彰された人の欲望・情念とうまく照応していると感じた。Les tableaux noires にはまっている印象を抱いている。


 ご一読ありがとうございます。


本書に出て来る事項を検索してみた。一覧にしておきたい。
アムトラック   :ウィキペディア
MFA Boston Museum of Fine Art of Boston  ホームページ
女人高野 室生寺  ホームページ
  寶物殿
土門拳写真美術館  ホームページ
アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群  :ウィキペディア
聖フランチェスコ大聖堂とフランチェスコのこと  フランチエスカ :「no+e」
美術館訪問記ー567 サン・フランチェスコ聖堂、Assisi   :「長野氏の美術館訪問記」
イタリア旅行 アッシジ 「サン・フランチェスコ聖堂」  YouTube
オフィーリア  :ウィキペディア
Discover the Life and Work Vincent Van Gogh   ファン・ゴッホ美術館ホームページ
ゲネプロ    :ウィキペディア
ゲネプロ  大辞泉  :「コトバンク
加藤 泉  :「美術手帖
IZUMI KATO  加藤泉 ホームページ

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