遊心逍遥記

遊び心で本の森を逍遥し、その時の思いを残しておこうと始めました。

『秘密の花園』   朝井まかて   日本経済新聞出版

              

 本書は「秘密の花壇」というタイトルで日本経済新聞夕刊(2020年1月4日~12月28日)に連載された後、「秘密の花園」に改題され、単行本が2024年1月に刊行された。
 
 朝井まかてさんの小説を読み継いでいるので、近作の本書を事前情報なしに手に取って読み始めた。「第一章 ある立春」の冒頭は、裏庭から始まる。朝陽に霜柱が光り、濡れた土の間で、蕗の薹の苞が露をはらんでいる清らかさを感嘆して見つめているところに、路(みち)が入ってくるというシーン。しばらく読み進めても、本書のタイトルとの関連がしっくりと結びつかない。主人公の鬱屈した思いの吐露から始まる。
 そして、主人公が誰かがわかる。『南総里見八犬伝(以下、『八犬伝』と略す)の著者、曲亭馬琴が主人公だ。
 
 本書は第一人称の視点を軸に、曲亭馬琴滝沢馬琴)の生涯を語る自伝風歴史時代小説。なぜ、「秘密の花園」? 最終段階でやっとそのネーミングがわかる。

 冒頭の曲亭馬琴の鬱屈した思いは、武家奉公が続かずに出奔し、27歳の時に履物商いを営む町人の家、それも三歳年上で離婚歴のある女の家に婿入した事情にある。それは戯作者の道を歩むために、己の生活基盤を確保する手段。いわば苦肉の策の選択だった。百と言う名の妻との間はうまくいってはいない。そんな状況でこのストーリーが始まる。馬琴はこの時点では、前年に『八犬伝』の第六輯(しゅう)を出したばかりの時期である。

 馬琴27歳の時期を起点に、営々と『八犬伝』を書き続け、九輯巻之五十三を稿了し、最終巻の発刊の目途が立つ。その翌年、天保十三年までのストーリーが描きだされる。
 このストーリーは、『八犬伝』が様々な紆余曲折を経ながら、馬琴の壮大な構想のもとに書き綴られていく過程をメインストーリーとして描く。そこには、馬琴が戯作の世界の巨峰にならんとする志と状況、日常生活の現実的な対処における悪戦苦闘などが織り交ぜられていく。戯作者馬琴の日j経生活が具体的に描かれていく。
 その途中に、馬琴が武士の世界から出奔した経緯、滝沢家の兄弟・親族等との過去の関わりが、馬琴の視点から回想されていく。それが、サブ・ストーリーとして織り込まれていく。なぜ、こんな境遇になってきたのか、己の過去の経緯を語るという側面が描きこまれていく。それによって、滝沢(曲亭)馬琴の生涯が浮き彫りにされていく。

 

 ある意味で、滝沢馬琴の人生は、波乱万丈の生涯と言えるが、残念ながら、読者にとって、わくわくするような局面はほとんどない(と、私は感じた次第)。馬琴が如何に苦しんだかというような側面はリアル感にあふれて伝わってくる。いわば、心理的にはちょっと重い感じのストーリー。まあ、それがたぶん事実だったのだろう。そういう意味では、戯作者・馬琴の心の思いに伴走するような形で、読み進めることになる。
 単行本で466ページという長編。楽しいストーリーを期待する人にはお勧めしない。
 
 己が滝沢家を継承する立場に立たされたが、滝沢家の主、武士として生涯を全うすることはできなかった。馬琴は戯作の世界で秀でた一流の存在になることを目指す生きざまを選択した。そこに大きな心の屈折が重なっていく。
 妻の百との間に生まれた息子、宗伯に滝沢家を継がせることで、武士として滝沢家の存続を託す。そこに希望と夢を重ねるのだが、宗伯が病に倒れて亡くなる悲劇に直面する。そのようなプロセスが描きこまれていく。
 馬琴さん、大変だったのだな・・・・ということが切々と伝わってくる小説ではある。
 
 史実を基盤に、著者の創作力によりフィクションが織り込まれこの小説が生まれた。どこにフィクションが加えられているのかは知らないが、戯作者としての道を歩んだ馬琴のリアル感に満ちた生きざまを感じたい人には、お勧めする。
 NHK大河ドラマで、一時期耕書堂に勤める馬琴の姿をちょっと垣間見るシーンが登場している。しかし、このドラマの馬琴の雰囲気は、この小説の馬琴像とはちょっと違うように感じている。それもまた、おもしろい。

 馬琴が蔦屋重三郎の営む耕書堂の手代として勤めていた時期のことは、柳橋の袂に構えた万八楼で、重三郎が世話役となり、山東京伝が書画会を開く。その書画会の状況描写の中に、馬琴が最初から手代として雇われた時の状況や本屋商いについて重三郎から様子を聞かれる場面が出て来る。そこに記されたエピソードがおもしろい。さらに著者は重三郎に語らせている。「呑み込みが速いので驚いているよ。夜もろくろく寝ずに書いているだろうに、日中の奉公は疎かにしていない」「それに、この頃は腕を上げたじゃないか」
この後者の発言は、馬琴が、内緒の内緒で京伝の作品の代作を手掛けていることを、重三郎は見抜いていたという話。(p141~146)
 重三郎は、馬琴に助言さえする。「硬いなりの味を醸せばよいのだよ、それに当節はかつてない学問流行り、お前さんの学を衒いがちな作を好む読者がいずれ出てこぬとも限らない。それに、絵馬が喋るとか、この世ならぬ不思議な想を持っている。伝奇ものには、佐吉の筆は向いているかもしれない」(p147)
 蔦屋重三郎という江戸の出版業界のプロデューサーは、馬琴の将来性を見抜いていたのだろう。馬琴が頭角を現すには戯作者としての長い修練の時を要することも予測していたのかもしれない。

 

 滝沢興邦(おきくに)は、10歳で松平家の若君の小姓として仕えたが、若君の暴虐に逢い「木がらしに思ひたちけり神の旅」と主家の障子に墨書し、14歳の春、その場から出奔した。武士の世界を捨てた。そこから流浪が始まる。その経緯の後、興邦は24歳で戯作者の道を歩もうと志し、山東京伝に入門を申し込んだ。京伝は入門を認めなかったが、興邦を受け入れた。その後、京伝と蔦重の関係から、興邦は耕書堂に勤めることになる。浪人となり、字の佐七郎を通称としていたが、手代になった折に、佐吉を称する。上記の通り、27歳の折に、婿入りする。

 馬琴の晩年と馬琴の家庭のことに少し触れておこう。
 天保12年(1841)に、馬琴が『八犬伝』を稿了したのは、8月21日だったと記されている。同年の仲春2月7日に、妻の百は享年78で急死している。馬琴は晩年、全盲に近い状態になっていたようだ。その状態で、『八犬伝』を稿了するまでに漕ぎつけた。最終段階では、亡くなった息子・宗伯の妻であった路(みち)が、馬琴の口授を筆写する役割を担い、二人三脚の形の悪戦苦闘により『八犬伝』の大作を稿了するに至る。そのプロセスが書き込まれていく。

 宗伯は路との間に、息子・太郎を設けていた。宗伯の死でその後の手立てもむなしくなり、一旦、武家・滝沢家は廃絶となる。だが、武家としての滝沢家存続の意欲が強い馬琴は、御家人株を買うことで、孫の太郎に武家としての滝沢家を継承させる道を見出していく。勿論そのために相当な尽力をする。
 このストーリーは、天保13年の立春に、非番の太郎が馬琴の許に訪れる。馬琴の手を引いて庭を巡るシーンで終わる。「秘密の花園」の意味はこのシーンに描きこまれている。

 

 手許には、高校生用の参考書『クリアカラー 国語便覧』数研出版、第4版第3刷、2013年)がある。これには、「近世の主要作品」という項に、滝沢(曲亭)馬琴の『椿説弓張月』と『南総里見八犬伝』が小説として取り上げられてそれぞれに短い解説が載っている。出て来るのは、この箇所だけなのだが。
 その説明によれば、『八犬伝』は、「1814~1842年刊。馬琴48歳から76歳までの28年間にわたる執筆の大長編伝奇小説」と記し、簡略な説明が続く。『椿説弓張月』は、1807~1811年刊である。つまり、40歳代になって、現在に書名が知られる作品を描き出したことになる。それまでは、馬琴にとっては、様々な作品を手掛けつつ修練と雌伏の期間だったことになる。
 滝沢(曲亭)馬琴は、1848年没と記されているので、嘉永元年にこの浮世を去った。本書巻末は天保13年、「舅上(ちちうえ)、太郎殿、お餅が焼けましたよ」という路(みち)の呼びかけに対し、馬琴が胸中に思い浮かべたことが一人称で記される場面で終わる。最後に百も登場させるエンディングがおもしろい。

 馬琴の死は、これより6年後ということである。

 

 本書を読むと副産物として、江戸の出版事情について、かなり詳しい情報が得られるところも興味深い。黄表紙では初めて目にするタイトルがやたらに出て来る。黄表紙制作工程の役割分担などもわかっておもしろい。(p143)
 蔦屋重三郎がどのように出版業界で地歩を固めて行ったかの状況もわかる。(p161~p163)
 勿論、馬琴と深いかかわりとなる人間関係から戯作者・山東京伝自身についても描きこまれていくので、本作は山東京伝の伝記という側面も担っている。
 
 最後に3つ、本書から学んだことをご紹介しておこう。
1. 戯号の「曲亭」について。
”「曲亭」は漢の巴陵という地の、名山の名だ。『漢書陳湯伝』に、「巴陵曲亭の陽に楽しむ」という一文がある。青々とした山の裾野はどこまでも広く、陽光も澄んでいる。麓ではのんびりと馬の群れが草を食み、仔馬が時々親の横原に顔をすりつけ、きょうだいが遊ぶ。そんな景色が泛んで、ふと瞼の中が潤む” という箇所がある。(p159)
 「曲亭」の由来が理解できた。

2.「小説」について。この語句の由来など、今まで意識したことがなかった!
”君子が国や政について説いた書物は「大説」と呼ばれ、いわゆる四書五経を指す。一方、身辺のさまざまや世情について唱えるものは、「小説」と呼ばれ、世の噂話や挙行、空想の物語も含まれる。” (p203)

3. 曲亭馬琴が江戸で創作した読本が、上方で初めて芝居になるという事象を生みだしたということを、本書で知った。『復讐(かたきうち)月氷奇縁(げっぴょうきえん)』という読本がそのひとつだという。  (p298)

 

 この曲亭馬琴伝風小説は、視点を変えて眺めると、出版業界状況と出版物の詳細、『八犬伝』の出版に纏わる紆余曲折譚、当時の武家社会の実状、副次的な人物伝(山東京、蔦屋重三郎ほか)などを知る機会にもなる。そういう興味深さを内包している作品である。

 

 ご一読ありがとうございます。